| 氏名 | 田口 八重子 |
| ふりがな | たぐち やえこ |
| 失踪年月日 | 昭和53(1978)年6月頃 |
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| 性別 | 女 |
| 当時の年齢 | 22 |
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| 特徴 | |
| 失踪場所 | |
| 失踪状況 | 田口八重子さんは、東京高田馬場のベビーホテルに2歳の娘と1歳の息子を預けたまま拉致されました。大韓航空機爆破事件の犯人金賢姫の日本人化教育係を勤めさせられました。田口さんの北朝鮮名は「李恩恵」でした。これは、昭和63年に、金賢姫が会見して公表しています。平成3年に、埼玉県警は「李恩恵」は埼玉県出身の田口八重子さんと判明したと発表しました。その5日後の5月20日から北京で開かれた第3回日朝国交正常化交渉で日本側は「李恩恵」の消息調査を求めましたが、北朝鮮側は激しく反発し、席を立ちました。帰国した地村(浜本)富貴恵さんは、八重子さんが金玉花(キム・オッカ)という名前の北朝鮮工作員に日本語を教えていたと証言。これは金賢姫のスバイ学校での呼び名だったのです。田口さんこそ「李恩恵」であることが明確になりました。 資料提供:北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会 |
