飯塚耕一郎さんから金賢姫氏への手紙

金賢姫様へ

前略

 突然の手紙をお許しください。 私は田ロ八重子の長男の耕一郎と申します。
 私の母であると言われている李恩恵について、お話を聞かせていただきたくペンを取りました。
 金さんにとっては、 もう思い出したくない話かもしれません。
 しかし、 私には母親の思い出がまったくないのです。
 母が北朝鮮に拉致されたのは、 私がまだ1年半のときでした。
 母親の兄である飯塚繁雄に引き取られて25年、 母のことは写真と養父から聞く思い出以外には何も知らずに生きてきました。
 それまで、 記憶にない母に対する感情は正直言って曖昧なものでしかありませんでした。抱いてもらった思い出も、 叱られた思い出も何もないので、 当然なのかもしれません。
 2002年9月に、 母の死亡という報道を海外出張先で知りました。 そのとき心が張り裂けそうな衝撃に駆られました。 どうしょうもない虚無感に駆られ、 涙を流しました。
 そのときの気持ちはいまだに自分の中で整理できていないのですが、 きっと自分の中に、25年ものあいだ触れることができなかった母親に対する感情がない、 と知ったからだと思います。 私には、 実母の写真を見ても、どのような声で、 どのような笑顔をしていたのかまったくわからないのです。
 そんな母に対してどんな感情を持てばいいのかわからないのです。 ですから、 金さんから母のことを聞いて、 一片でも母の面影を自分の心の中にじかに焼き付けたい。 私はまず、 このことから始めたいのです。
 これから私が見るべき明日に向けて、そして未来の家族のためにも、空白になっている母の面影を少しでもつなぎ合わせていきたいのです。
 お忙しい中、 このような手紙をご覧いただき、 ありがとうございました。
 どうかご自愛ください。 また、 乱文失礼いたしました。

敬具

飯塚 耕一郎

飯塚耕一郎さんと飯塚繁雄さん
平成16年2月23日、飯塚耕一郎さん(写真右)が初めて会見し、
金賢姫氏に面会を求める手紙を外務省の斎木昭隆審議官に託した。
写真左は、育ての親で田口八重子さんの兄、飯塚繁雄さん。

外務省は韓国政府を通してこの手紙を取り次ごうとしてくれました。 しかし、 韓国政府からは「本人が受け取りたくないと言っている」との回答がありましたが、「非公開でなら耕一郎さんたちに会いたい」という金賢姫氏のメッセージが伝わってきました。その後、金氏は外部との連絡を断ちます。耕一郎さんと金賢姫氏の面会実現に、関係者にはぜひ協力して頂きたいと願っています。
※韓国で10年続いた親北政権が退場するなどの変化を受け、平成21年3月11日、金賢姫氏と飯塚繁雄さん、耕一郎さんとの面会が、韓国釜山で実現した。