家族会・救う会の救出運動

家族会・救う会の救出運動_ポスター1

 北朝鮮元工作員の証言で、横田めぐみさんの拉致が明らかになったことを契機として、各家族が実名を公表して救出運動を行うことを決断し、平成9年(1997年)3月、家族会(北朝鮮による拉致被害者家族連絡会)が結成されました。その家族会を支援するために、各地で次々に支援組織「救う会(名称は地域ごとに少しずつ異なる)」が生まれ、平成10年、各地組織が一体となって「救う会」全国協議会(北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会)として運動を行ってきました。また、平成9年4月、超党派の国会議員により「北朝鮮拉致疑惑日本人救援議員連盟」が、平成14年4月からは「北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟」が結成されました。さらに、平成18年4月には、都道府県議の議員連盟の協議体として「拉致問題地方議会全国協議会」が発足し、平成20年11月には、「北朝鮮による拉致被害者を救出する知事の会」が結成され全知事が参加しています。

家族会・救う会の救出運動_ポスター2


 しかし、家族会が結成されてからも長い間、街頭で救出を訴えても人々の関心は薄く、あまり報道もされない状況が続いていました。それでも、50万、100万と少しずつ署名が増え、現在600万を超えています。平成11年(1999年)5月に開催した第1回国民大集会以降、毎年の大集会は常に多くの人が参加し、また各地救う会が開催した集会にも多くの方々の参加が得られるようになりました。
 他方、北朝鮮への人道支援として政府は米などの支援を行ってきましたが、これらの支援は北朝鮮に間違ったメッセージを伝えるだけで拉致被害者の救出には役立たないだけでなく、大部分が軍などに横流しされ、北朝鮮の人々のためにもならないと、反対を訴え、座り込みを行ったこともあります。その他、米国、韓国、ヨーロッパ、国連などに対しても拉致被害者救出を訴えたり、韓国を初めとする被害者家族を国民大集会に招待してきました。また、世界の12か国国民が拉致されている可能性があるとの調査結果を報告し、北朝鮮の非道さを訴えてきました。

家族会・救う会の救出運動_ポスター3

 当初、拉致問題は長く「拉致疑惑」として報道され、政府もなかなか真剣な対応を行いませんでしたが、家族会・救う会などの粘り強い活動が少しずつ世論を盛り上げ、政府も拉致問題を無視することはできなくなってきました。平成14年(2002年)1月、米国のブッシュ大統領が北朝鮮の金正日政権を「悪の枢軸」と名指しして強い圧力をかけたことが大きな力を発揮し、同年9月、小泉首相が訪朝し、金正日が拉致を認め、謝罪しました。しかし、金正日は、日本人の拉致被害者だけ、それも100人以上と想定される拉致被害者の内、わずか5人とその家族だけを返すことで、拉致問題はすべて決着したと居直っています。その5人も、当初は家族を人質とされ、北朝鮮に帰ることを約束させられた「一時帰国」だったのです。その後の日本側の毅然とした対応があって5人の家族も取り戻せたのです。
 家族会・救う会の必死の調査もあって、北朝鮮が「死亡」として出してきた物証や資料はすべて捏造であることも分ってきました。日朝協議で北朝鮮は、「死亡」を証明するために提出した物証や情報が捏造であったことを認めることになりました。家族会・救う会は、金正日政権は話し合いで解決できる相手ではないと認識し、平成15年7月以降、北朝鮮への制裁発動を政府に要請する活動を全力で展開してきました。「北朝鮮に制裁を発動すべき」との声は、ほぼ1年で世論の3分の2以上になりました。国民の皆様のご理解とご協力の結果です。

家族会・救う会の救出運動_ポスター4

 平成17年9月、米国は北朝鮮に金融制裁を発動し、日本政府も法の厳格な執行で北朝鮮に圧力をかけるようになりました。平成18年7月の北朝鮮によるミサイル連射、10月の核実験で、国連安全保障理事会は10月に北朝鮮に制裁決議を行い、国際社会も安保理決議に基づき、制裁をかけ始めています。国民の皆様の制裁支持は9割を超えるようになり、追加制裁すべきとの世論も3分の2となりました。金正日政権は追い詰められています。平成18年9月に発足した安倍内閣は、首相を本部長とする拉致問題対策本部を設置し、被害者救出に全力を注ぐ体制をその後もとり続けています。拉致被害者救出運動はこれからが正念場です。皆様のさらなるご協力をお願いいたします。