田中 実さん(28歳)
1978年(昭和53年)6月6日拉致
田中実さんは、神戸工業高校を卒業後、市内のパン製造会社に就職しましたが退職、失踪直前は阪神「青木」駅近くの中華料理店「来大」の店員でした。平成9年の『文藝春秋』1月号に、神戸市在住の在日朝鮮人、張龍雲が、自らが北朝鮮工作機関「洛東江」のメンバーであったことを告白し、同組織の韓竜大と曹廷楽が共謀の上、成田空港から田中さんをウィーンに連れ出し、モスクワを経由して平壌へ拉致した事を告白しました。韓竜大は彼が勤めていた「来大」の経営者でした。平成17年4月、政府は田中さんの拉致認定を行いました。
田口 八重子さん(22歳)
1978年(昭和53年)6月頃拉致
田口八重子さんは、東京高田馬場のベビーホテルに2歳の娘と1歳の息子を預けたまま拉致されました。大韓航空機爆破事件の犯人金賢姫の日本人化教育係を勤めさせられました。田口さんの北朝鮮名は「李恩恵」でした。これは、昭和63年に、金賢姫が会見して公表しています。平成3年に、埼玉県警は「李恩恵」は埼玉県出身の田口八重子さんと判明したと発表しました。その5日後の5月20日から北京で開かれた第3回日朝国交正常化交渉で日本側は「李恩恵」の消息調査を求めましたが、北朝鮮側は激しく反発し、席を立ちました。帰国した地村(浜本)富貴恵さんは、八重子さんが金玉花(キム・オッカ)という名前の北朝鮮工作員に日本語を教えていたと証言。これは金賢姫のスパイ学校での呼び名だったのです。田口さんこそ「李恩恵」であることが明確になりました。
地村 保志さん(23歳)、浜本 富貴恵さん(23歳)
1978年(昭和53年)7月7日拉致
福井県小浜市の海岸に近い国道沿いのレストランを出た後、地村保志さん、浜本富貴恵さんの二人が拉致されました。地村さんは当時大工見習いでした。海岸を見下ろす展望台に地村さんの乗っていた軽トラックが鍵のかかったままで残されていました。二人は9日前に結納を済ませたばかりで、自ら失踪する理由は全くありませんでした。保志さんのお父さんは、失踪直後に、事件があった頃近海に「不審船」があったことを海上保安庁から聞いています。平成14年の小泉首相訪朝後、帰国しました。
蓮池 薫さん(20歳)、奥土 祐木子さん(22歳)
1978年(昭和53年)7月31日拉致
蓮池薫さん、奥土祐木子さんは、新潟県柏崎市の海岸から250メートル離れた図書館で待ち合わせをした後拉致されました。蓮池さんは当時帰省中の中央大学の学生、奥土さんは当時美容指導員。蓮池さんは夏休み後に提出するレポートを書き上げたばかりで、奥土さんは職場の店長に「コーヒーを一杯飲んだら帰るわ」と言って出かけており、自ら失踪すべき理由はありませんでした。薫さんたちは、拉致されて3年後から、日本政府が助けにくることなど諦めて生活していたそうです。ところがある時、翻訳の仕事をしながらギョッとなった。新潟の両親が拉致問題解決を訴えている新聞記事を見つけたのです。その時の気持ちはどんなものだったでしょうか。北朝鮮に情報を送れば、拉致被害者を勇気づけ、生きる意欲を持ち続けさせることができるのです。平成14年の小泉首相訪朝後、帰国しました。
市川 修一さん(23歳)、増元 るみ子さん(24歳)
1978年(昭和53年)8月12日拉致
市川修一さん、増元るみ子さんは、鹿児島県日置郡吹上町の吹上浜に自家用車を残したまま拉致されました。市川さんは当時鹿児島市の電電公社(現NTT)職員、増元さんは当時事務員でした。車はロックされ、助手席には増元さんの手提げバックとカメラが置いてありました。バックの中にはサングラス・財布・化粧道具などがそのまま残され、車内はまったく荒らされた形跡がありませんでした。この日互いに撮影した写真が残されたカメラにありました。
曽我 ミヨシさん(46歳)、曽我 ひとみさん(19歳)
1978年(昭和53年)8月12日拉致
曽我ミヨシさん、ひとみさん母娘は、佐渡島で、夕方、買い物の帰宅途中に拉致されました。市川修一さんと増元るみ子さんが拉致されたのと同じ日です。北朝鮮による拉致は、内陸、海岸地域を問わず、全国規模で行われています。二人は、3人の男に襲われ、袋に詰められた後、小舟で川から海に出て沖で大きな船に移動され、北朝鮮に拉致されました。その後、ひとみさんは横田めぐみさんと暮らしています。日本語を話す工作員と思われる女性の存在も明らかになっています。曽我さん母娘の拉致の経過については、帰国した曽我ひとみさんの証言で明らかになっていますが、ミヨシさんは消息が不明のままです。北朝鮮は「お母さんは日本にいる」とひとみさんをだましていました。ひとみさんが帰国してみると、お母さんはあの日以来いなくなっていたのです。また、曽我さん母娘の拉致は、小泉首相訪朝まで誰も拉致とは思っていなかった事例なのです。このようなケースがまだまだ多数あると思われます。









