政府・救う会認定計24人の拉致被害者(発生順)
北朝鮮による拉致はどのように行われたのでしょうか。24名の事例をまとめてみました。
寺越 昭二さん(36歳)、寺越 外雄さん(24歳)、寺越 武志さん(13歳)
1963年(昭和38年)5月11日拉致
能登半島で漁に出たまま行方不明になり船だけが沖合いで発見されました。24年後の昭和62(1987)年、寺越外雄さんから姉に、「北朝鮮で暮らしている」との手紙が届きます。元北朝鮮工作員・安明進氏は、平成2年(1990年)4月、金正日政治軍事大学の装備倉庫付近で寺越武志さんによく似た男性を目撃し、その時一緒にいた呉グホ教官から、「工作活動中遭遇し、自分があいつ(武志さん)を拉致し連れ帰った」、「(昭二さんと思われる人物について)拉致の現場で、子どもをかばって抵抗したので射殺し海に沈めた」と聞いています。北朝鮮は武志さんらに、北朝鮮船に「救助された」と言わせていますが、24年間家族に手紙すら出させない「救助」があるのかと考えれば、真実は明らかです。
加藤 久美子さん(22歳)
1970年(昭和45年)8月8日拉致
福岡県北九州市八幡東区の路面電車の停留所で、一緒に通勤していた妹と別れた後、行方不明になりました。加藤さんは、当時事務員をしていましたが、小倉にある会社へ向かったと思われます。週末に編み物の先生とお茶会に行くので着物を出しておいてという話をしていました。北朝鮮の元工作員安明進氏が酷似した人物を北朝鮮で目撃し、「工作員養成機関(金正日政治軍事大学)で横田めぐみさんと一緒にいた女性にほぼ間違いない」と証言しています。
古川 了子さん(18歳)
1973年(昭和48年)7月7日拉致
失踪当日の昼前、「いま千葉駅にいる」という電話を最後に古川了子さんは消息を絶ちました。昭和48年の七夕の日でした。安明進氏は、「1991年8月に、915病院で古川さんによく似た人を見た」と証言しています。安明進氏は、平成10年(1998年)に出版した本で、横田めぐみさん、市川修一さんらについて目撃証言をしていますが、同じ本の中で915病院で目撃した日本人女性について詳しく証言していました。その人が、古川了子さんです。
福留 貴美子さん(24歳)
1976年(昭和51年)8月頃拉致
福留貴美子さんは、高知県出身で、県立高校卒業後上京し、短大に通いながら警備会社に勤めていました。福留さんは、日航機よど号ハイジャック事件実行犯岡本武の妻になっていることが判明しています。よど号犯の妻になった日本人女性は金日成思想等を勉強し、北朝鮮までは自分の意思で行った人たちですが、福留さんだけはそのような背景が全くありません。拉致されて無理やり結婚させられたのです。福留さんは昭和51年、「モンゴルに行く」と言って日本を出国しています。その後1回帰国し友人の家に立ち寄ったことがありますが、工作活動を強制されたものと考えられます。警察は、一時帰国の際逃げる機会があった、として拉致認定していませんが、当時二人の娘を北朝鮮に残しており、人質をとられた状態で、母として逃げられなかったのでしょう。
久米 裕さん(52歳)
1977年(昭和52年)9月19日拉致
東京都三鷹市役所で警備員をしていた久米裕さんは、能登半島の宇出津海岸から北朝鮮に拉致されました。久米さんを宇出津海岸の旅館まで連れていった在日朝鮮人李秀吉が外国人登録法違反で逮捕され、拉致を自白しています。犯人は、北朝鮮工作員から、「身寄りのない52、3歳の日本人男性の拉致」を指令され、その時、戸籍謄本を取らせることも指示されています。李の東京の自宅からは、乱数表、暗号解読表等の証拠が押収されているのに、「出国時の意思」を久米裕さんから確認できないことを理由に起訴されませんでした。この時点で、北朝鮮による拉致について政府や警察当局が重視し、対応を行っていれば、2か月後の横田めぐみさんをはじめとする多くの日本人拉致は防げたのです。
松本 京子さん(29歳)
1977年(昭和52年)10月21日拉致
松本京子さんは、その日午後8時頃、鳥取県米子市の自宅近くの「編み物教室に行く」と母親に言い残して一人で外出したまま拉致されました。京子さんは普段着で、現金も持っていませんでした。京子さんの外出後、自宅から約200メートル離れた松林で、京子さんと思われる女性が二人の男と話しているのを近所の住民が目撃しています。住民が声をかけると、男の一人が殴りかかり、住民は負傷し、そのすきに二人の男は京子さんを連れて海岸の方へ逃走しました。現場には京子さんのサンダルが片方残されていました。政府は、京子さんの失踪当時、現場付近に工作員が潜伏していた可能性が高いという情報があったことに加え、警察による再調査の結果得られた関係者の証言などから拉致以外の可能性が完全に排除できたことから、平成18年11月20日に拉致被害者と認定しました。
横田 めぐみさん(13歳)
1977年(昭和52年)11月15日拉致
横田めぐみさんは、新潟市の中学校から帰宅する途中で拉致されました。失踪後、長く消息が分からなかったのですが、平成8年、『現代コリア』10月号に、朝日放送の石高健次氏が匿名の北朝鮮工作員の証言を紹介しました。「13歳の少女が日本の海岸から北朝鮮へ拉致された」、「少女は学校のクラブ活動だったバドミントンの練習を終えて、帰宅の途中だった」。この情報は、横田めぐみさん失踪の情報とピタリ一致しました。平成9年1月には、西村真悟衆議院議員が政府に質問書を提出、2月には予算委員会で質問し、橋本首相(当時)も調査中であると答弁しました。そして、同年5月の参議院決算委員会で、政府は横田めぐみさんを北朝鮮による拉致被害者として認定したことを明らかにしました。小泉首相訪朝では、めぐみさんは「死亡」と伝えられましたが、提供された情報や「遺骨」はすべて捏造されたものでした。「死亡」の証拠を出せないのは、めぐみさんが生きているからです。








