松本孟さん(京子さんの兄)
平成19年1月18日、東京連続集会発言から要約
京子は一つ違いの妹です。子どもの時の記憶はあまりないんですが、学生時代は、今思うと口喧嘩ばかりして暮らしていたような記憶があります。性格が少しきつく、私はしょっちゅう負けていました。そこの所だけは覚えているんですけども、後は余り覚えていません。
妹は歌手の舟木一夫さんが好きだったようで、兵庫県で公演があった時の写真が残っていますが、何回も行ったようです。社会人になってからは、旅行が好きでよく出歩いていました。
特別変わった事はしていませんけども、母親のいう事をよく聞く子で、休みの日には母親の畑の手伝いをしたり、家の掃除をしたり、そういったどこにもいるような娘でした。子どもが非常に好きで、子どもたちとよく遊んでいました。
中学を卒業して、非常に大きな縫製工場に勤めました。女性があこがれる職場で、運良く勤めさせていただいたと思っています。
妹の京子は、1977年10月21日の午後8時ごろ、母親に「編み物教室に行く」と言って家を出たまま行方が分からなくなりました。編み物教室には週3回、熱心に通っておりましたので、その行動パターンが読まれていたかもしれません。ちょうど自宅のすぐ近くの住宅の裏で、妹らしい女性と若い男二人が言い争っているのが目撃されています。目撃した人は、男に頭を殴られたそうで、男たちは海の方に立ち去っていったということです。家は、日本海の海岸のすぐ近くで、拉致されたとみられる現場には妹のサンダルの片方だけが残されていました。それっきりです。
母は必死で捜しました。海岸沿いを「京子」、「京子」と叫びながら、来る日も来る日も捜し回りました。近所にも聞いて回りましたが、捜しても捜しても何の手がかりもなく次第に月日が流れてしまって、母親は京子のことを口にしなくなりましたし、家族も触れてはいけないような雰囲気となり、それ以降、妹のことは心配でしたが、親子としてそのことに触れることなく20数年間暮らしてきました。 1997年の北朝鮮による大韓航空機爆破事件で李恩恵さんの顔写真が出てきました。その時初めて、「もしかしたら北朝鮮にいるのかな」と思いました。そして、1990年に福井県沖のスピードが速い不審船事件の時、まず北に間違いないだろうと確信しました。


